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本谷筋、後藤邸付近の竹が消滅 2

本谷筋、後藤邸付近の竹が消滅 1 の 1 年後、再度後藤邸付近に立ち寄ってみたところ、さらに伐採が進んでいた。

後藤邸は、東近江市中羽田町を本拠としていた六角氏の重臣、後藤但馬守賢豊の観音寺城内の館。後藤賢豊は新藤氏とともに「佐々木の双藤」と呼ばれるほどに権勢を誇っていましたが、こともあろうに、その権力の高まりを危惧した当時城主、六角義治の手によってに城内で謀殺されます。

このような歴史背景に加え後藤邸は大手道を上り切ったところ、いわば観音寺城域の中心に有り、位置的にも非常に重要な意味を持っています。 ... と言うことで、観音寺城フアンとしてはこの付近の探索を怠ることはできません。

余談ですが、後藤氏は観音寺城内のほか、地元の中羽田町に居城である後藤氏館、五個荘日吉町に生城を構えています。しかし不思議なことに、後藤城という名前の城は伝承されてません。なぜあれほど立派な後藤氏館が、後藤城という名で呼ばれなかったのでしょうか?

なおこのページは主に、伐採前と伐採後の様子の比較を目的としています。伐採前に何度も足を運んだ私自信のための備忘録のようなものですので、後藤邸の全貌をつかむのには役立たないと思います。

またこの比較により、伐採前の状態の石垣にも捨てがたい味があることをあらためて感じています。深い繁みの中から忽然と巨大な石垣が忽然と姿をあらわしたときには、誰も知らない偉大な遺跡を発見したかのように錯覚し、感動を覚えることがあります。また竹や草木の衣服をまとった石垣は、裸の石垣よりも大きくそして力強く見えます。 もっとも、竹や草木はかってに生えてきますので、放っておけばすぐに元通りになりますが ..

本谷に向う道沿い、入り口近く
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本谷に向う道沿い、入り口近く - 伐採前 (伐採後の写真より数メートル手前で撮影) 
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本谷に向う道沿い、進藤邸の立派な石垣のあたりから振り返る
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本谷に向う道沿い、進藤邸の立派な石垣のあたりから振り返る - 伐採前
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本谷に向う道沿い、後藤邸側の埋み門
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本谷に向う道沿い、後藤邸側の埋み門 - 伐採前
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本谷に向う道沿い、進藤邸の石垣
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本谷に向う道沿い、進藤邸の石垣 - 伐採前
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本谷に向かう道沿いだけでなく、後藤邸の中も石垣の周辺を中心に伐採が行われ、自由に歩き回れるようになっていた。

上の写真の進藤邸の道向かいの石垣の犬走り。ここをとおって後藤邸に入る。
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上の場所の伐採前、ここはこんなにすごかった。
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ここから後は、後藤邸の郭郡の内部です。りっぱな石垣や石の階段があります。

埋み門のある石垣を郭側から見る。
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後藤邸中央通路付近の石垣
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伐採前の様子
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この石垣の山裾側の側面。
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道向かいの崩れた石垣。自然の崩落ではなく意図的に破壊されたように見える。
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中央通路の階段。
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階段の終点付近の石垣。
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伐採前の様子。
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 階段の終点。
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階段の終点 - 伐採前 (伐採後の写真より少しアップ)
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階段の終点付近右側の石垣。
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伐採前はこんなだった。
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後藤邸上部の大きな石垣。
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後藤邸の南東(観音正寺の参道側)端の石段の道
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石段の道を北東(観音正寺方向)に登ったところ。この先は竹が伐採されておらずここで行き止まり。
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古い絵図によるとこの道は、前方の竹が密集しているところを超え漢音正寺と本丸を結ぶ城道につながっている。この道が城道と出会う位置は、観音正寺から城道に下りる階段付近。

後藤邸上段。上の写真で紹介した観音正寺下の城道につながる石段の道が、この写真に右下から左上に向って延びている。
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伐採前のこの付近の様子  (伐採後の写真より少しアップ)
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西または北西方向に移動したあたり。
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後藤邸には他に多くの遺構が存在するが、今回は伐採状況の紹介程度にとどめる。

参考: 後藤邸見取り図 - 田中政三著、近江源氏一巻「まぼろしの観音寺城」より引用
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この図では、進藤邸道向かいの一角のすべてが後藤邸として取り扱われている。資料によってはこの右上の区画部分だけを後藤邸としているものもあるが、どちらが正しいのかはわからない。しかし、郭の虎口付近の豪華な作りは郭の主の地位を誇示するものであり、中央の階段道が後藤邸のために用意されたものであるとすると、この区画の左半分も後藤邸であるということになると思えるが ... いずれにせよ、この一角に対しては更なる調査、発掘が望まれる。

後藤邸では多くの石垣が崩れており、中には意図的に破壊されたようなものもある。石垣の石材はさほど大きくは無い。また、さすがに竹薮だけあって、大木がニョッキリと生えた石垣は皆無。また中央通路の石段は立派で、本丸の大手階段を彷彿せる。

後藤邸は現在の観音正寺の位置にあった上御用屋敷の直下にあり、上御用屋敷に延びる 2 本の石段道を通って頻繁にの行き来されていたものと思われる。

もしこの区画を覆っている竹がすべて消滅すれば、観音正寺からこの一角のすべてを見渡すことができる。仮にもう一度、緊急雇用対策で予算が付くようなことがあれば、ぜひともこの一角の竹の伐採をお願いしたい。

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