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登城道の概要と山頂尾根道の風景 Archive

観音寺城の11本の登城道

観音寺城には多くの登場道があります。これらの道筋には、石段や石垣など多くの遺構や残されており、当時の観音寺城の姿を今に伝えています。この観音寺城の城道の魅力にとりつかれ、1 本 2 本と登っているうちにその数は 11 本になりました。おそらく、観音寺城の登城道として伝承されている道筋のほとんどを歩いたことになると思います。

しかしこれらの道は、一度歩けばそれで満足と言うわけでななく、横道の繁みから突然姿を現す巨大な石垣など、歩くたびにあたらしい発見があり、何度も何度も足を踏み入れたくなるような魅力を備えています。

これらの道筋のうちのいくつかについては、写真でその様子を紹介済みですが、今回はその全体像お伝えしたいと思います。

石寺山裾から観音寺山を望む
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この写真のように、石寺楽市会館あたりから観音寺山の南側山腹を眺めると、尾根と谷がほぼ等間隔に並び、さながら巨大な竪堀が列を成しているようにも見えます。もちろんこれは自然の地形ですが、これらの尾根と谷のそれぞれには観音寺城本丸付近に延びる登城道が設けられています。

写真中央の道の先を真上に延びている谷が本谷(別名見付谷とも呼ばれる)であり、ここに大手道が通っています。そしてその左に 4 本の谷があります。(写真左端の谷は一本にも見えるが、よく見ると中央に尾根があり その両側に谷が2本平行に走っている)

これらの谷は左から順に、三味谷、嵐ヶ谷、女郎ヶ谷、蛇流れ谷、本谷(見付谷)という名がつけられています。、そしてその右には、お茶子谷、観音谷、源三谷が並びます。これらの谷には蛇流れ谷と観音谷を除き、山上まで延びる道があったと伝えられています。

また、本谷と蛇流れ谷の間の尾根には追手道が通っており、本谷東隣の尾根には赤阪道(観音正寺への参道)が通っています。そして、さらに多くの登城道が東西の山腹を上っています。

ではこの中から私が歩いた 11 本の道筋を簡単に紹介します。

(1) 今でも現役で使われている道

赤阪道筋
石寺楽市物産館の駐車場に車を止め、南側斜面から観音正寺に向かう道。現在、観音正寺の表の参道として盛んに利用されている。観光バスで訪れる場合はたいていここ。当時は現在の観音正寺の場所に観音寺城の上御用屋敷があったので、この道は上御用屋敷に直行する道であった。道筋には、家臣の郭跡や、見付(赤阪見付)などの城跡としての遺構が多くある。りっぱな石の階段が上までつながっえいる。石段は馬の歩幅に合わせて積まれているようで、人の歩幅には少し広すぎる。

薬師口筋
桑實寺から観音正寺に向かうコースとして現在も良く使われている。観音正寺に入る手前で、観音寺城の本丸を通過する、道筋には太夫殿井戸や本丸の食い違い虎口など、興味深い遺構が見られる。ここも石段のあるしっかりした道。

日ころばし筋
安土城のある安土山と観音寺山の間の峠から、尾根伝いに観音寺城に登る道。見晴らしが良いので、ハイキングコースとして良く利用されている。文芸の里からこの尾根道にいることもできる。良く整備された歩きやすい道が続いている。道筋には何条もの竪堀や小さな石垣が散在しているらしいが、ほとんど目に触れることは無い。

川並口筋
川並の結神社から観音正寺に向かう、裏参道として今でも利用されている。この道は目賀田邸付近で、源三谷筋および、近年に作られた巡礼道に合流している。この道も整備されており歩きやすい。駐車場以降の巡礼道(川並口筋の最後の一部)はほとんど高低差がないので、最も楽なコースとして車での訪問者に良く利用されている。

(2) 少し前まで、現役で使われていたと考えられる道

源三谷筋
山裾の清水鼻と石寺の境界あたりから上る、源三谷沿いの道。下から上までほとんど石段になっている。石段は堆積物で埋っておらず、近年まで観音正寺への参道として使われていたと考えられる。

(3) 観音寺城の廃城とともに使われなくなったと考えられる道

追手道
ふつう大手道と追手道は同じ意味で使用されるが、観音寺城には大手道とは別に追手道と呼ばれる道がある。この道は山裾の御屋形館跡あたりから尾根伝いに登り、尾根伝いに池田丸付近に上りつきさらに本丸まで続いている。この道も、近年に付けられた林道により 2つに分断されている。この林道より上の道とその道沿いの郭は、最近大規模な伐採整備が行れわれ、美しくまた歩きやすくなっている。この道沿いには大石垣などの多くの遺構が残っており結構楽しめる。

大手道
本谷と飛ばれる谷に沿って付けられている。見付と呼ばれる防御施設に囲まれた、観音寺城の主要エリアの中央付近に登り行く。この道筋を登ると本丸直前に、六角の重臣であった後藤氏および進藤氏の邸跡がある。しかし、この道と本丸大手階段を結ぶルートはいまだ判明していない。また、この道は一部の箇所を除いてほとんど手入れされていないので雑木や倒木が多く、普通には歩けない。この道筋の遺構は明治初期の砂防工事により、大規模に破壊されたと伝えられており、本来あるべき防御施設や家臣の郭跡がかなり失われている。また残念なことにこの道は近年に作られた林道で 2 つに分断されてしまっている。

お茶子谷筋
お茶子伝説が伝わるロマンあふれる道筋。麓の教林坊の裏手付近からお茶子谷沿いに登り、川並道に上りつく。道筋はわりと開けているが、道自体はあまりはっきりしない。川並道にある権現見付よりも手前に上り付く。すなわち観音寺城中心部分の外側にある道。道沿いにはお茶子邸、松岡邸、鯰江邸などの郭がある。

宮津口筋
平井丸と落合丸の間にある、宮津見付と桑實寺参道の上り口付近を結ぶ道。谷沿いの道でわりと歩きやすい。宮津見付のすぐしたあたりには、道の両側に崩れかけた石垣並んでいる。また無名の大きな石垣がある。麓に近づいたあたりには古墳らしきものにも出会う。

(4) はじめから、観音寺城の登城道として使われていたかどうかわからない道

宮津口尾根筋  ・ 鳥打越え筋
この 2 つの道筋は、池田丸の南西直下にある巨大な空堀を越え、尾根伝いに西方向に続く道。池田丸から空堀を越え、この尾根道をそのまま進むと鳥打峠に出る。また尾根道から宮津地区方向に分岐する道があり、瓢箪山古墳の駐車場近くに下りる。

(5) 景清道について
ここで紹介した道筋は日ころばし筋を除き、観音寺山をとり囲むように麓を走る「景清道」と交差している。観音寺城への登城道の散策を通じてこの景清道のルートもだいぶわかってきた。この景清道は観音寺城築城以前の道であり、観音寺城につながる道はこの景清道から山上方向への分岐点を探すことにより見つけることができる。 

観音寺城への 11本の登城道
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 この地図は田中政三著、近江源氏第一巻「まぼろしの観音寺城」から引用させていただきました。

観音寺城への主要な登城道と郭
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平成21年度 史跡観音寺城跡発掘調査 現地説明会資料 - 林道の位置がわかる
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これまで道なき道をずいぶん歩きましたが、ここにきて観音寺城全域にわたる石垣調査や、雇用対策などによる伐採整備でずいぶん歩きやすくなっています。特に追手道はだれでも歩ける散策道に生まれ変わっています。観音寺城の魅力は中心部の巨大な郭だけではなく、そこに至る道筋に残る遺構にもあります。今後さらに道筋の整備が進み、観音寺城がより身近で魅力的なものになることを願っています。

観音寺山から安土を望む

この記事の公開日は2008年10月15日です。日付を修正して表示順序を変えています。

観音寺山(繖山・きぬがさやま)と安土山は地続きになっており、峠道である京街道(挑戦人街道)を超え尾根伝いに安土山に入ることができる。観音寺山の山頂(繖山三角点)付近は非常に見晴らしが良く、安土山および安土山までの尾根筋が一望できる。

織田信長は、観音寺城を落としたあと観音寺山から安土山を眺め、即座に、そこに安土城を築くことを決めたのではないか?と考える人も多い。そのころ琵琶湖の湖面は安土山の麓にまで達しており、ちょうど安土山は琵琶湖に突き出す半島のようだったらしい。それを見て信長は、防御面に加えて海運上の利便性に気付き、そこに築城することを即決したとのではなかろうか?

また、観音寺城と安土山とは絶妙な位置関係にある。信長は観音寺城を詰め城として使用することなどさまざまなアイデアを膨らませたに違いない。事実、観音寺城は安土城築城後もすぐには廃城にはならなかったらしいが、信長が観音寺城をどのように考え、活用したのかたいへん興味深いところではある。

講釈はさておき ...

尾根続きの山の正面付近(写真の真中)が安土山。その後ろに西の湖が見えさらにその背後に八幡山がそびえている。そしてその後ろは琵琶湖。観音寺山尾根筋の左側は安土町。右側は東近江市、そして西の湖の後方は近江八幡市。なお、2010年 3月に安土町は近江八幡市と合併し、近江八幡市安土町となった。
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安土山の左(西)側には安土城の城下町として栄えた下豊浦(しもといら)の集落が広がる。
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尾根道は良く整備されており歩きやすい。
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東近江市能登川町方向をのぞむ。右側の山すそには須田の集落が広がる。正面には伊庭内湖が見える。
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観音寺山は尾根筋の見晴らしもステキ!

ついでに、観音寺山から見える冬景色はというと、こんなかんじ。
繖山三角点から、尾根伝いに500mくらい北に進んだところ。安土山/下豊浦/西の湖方面
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安土山 / 南須田 / 伊庭内湖方面.。
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山の反対側の景色。眼下の集落は、東近江市五個荘町。
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ついでに、別の日にとった一枚。見晴らしが良いのは 2001 年の山火事で樹木が消失したため。
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この尾根伝いの道は雨宮龍神社や北向き11面観音を経て、猪子山北端まで続いており、北端を尾根伝いに東に折れたその先には佐生城がある。

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