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観音寺城全般 Archive

観音寺城|散策の備忘録について

この記事の初回投稿日は2010年4月24日です。表示されている日付は更新日です。

観音寺城 - 散策の備忘録をご覧いただきありがとうございます。

私は「後藤氏館」から 1 km くらいのところに住んでいます。しかし数年前まではそのようなものが近くにあることを、全く知りませんでした。そしてその館の主が六角氏に仕えた偉い殿様であり、その殿様が観音寺城で主君に謀殺されたということを知りました。えらいことが起こったものです。世に言う観音寺騒動です。そうなると近所に住む私としては、観音寺城に乗り込まないわけにはいきません。これが事の始まりでした。

観音寺城に行ってみてその巨大さと遺構の多さに驚きました。なんと石垣だらけではありませんか!すぐに、安土城が石垣を本格的に使用した最初の城郭である、という通説が誤りであることに気付きました。そこで私の観音寺城詣でが始まりました。そしてその後の顛末は、ここで紹介させていただいているとおりです。

このサイトはもともと、観音寺城の魅力を記憶だけでなく記録に留めるために始めました。しかし私には、自分の好きなものは他の人も絶対好きなはず!と思い込んでしまう悪いクセがあります。それで、皆様にもご覧いただけるよう、このような紹介記事にまとめるに至りました。せっかくですので見てやってください。

なお、このサイトでは観音寺城とその周辺の道筋をいくつも紹介しています。しかしそれは、そこに立ち入ることを皆さんにお勧めしているわけではありません。人が通らない山道には危険が潜んできます。また私有地もあります。従い、もしここで紹介する場所に立ち入る場合には、怪我の無いように充分注意すると共に、土地の所有者の方々にご迷惑をおかけすることが無いように、くれぐれもご注意ください。

追記 : 2016年5月29日

現在このサイトの更新が滞っていますが、別サイト で観音寺城、及び観音寺城と関連のある山城の様子を紹介しています。

瓶割山城(長光寺山城) 及び、安土城築城の前に目賀田城があったとされる 安土城の馬場平と馬場平に至る東門道入口近くの御茶屋平付近の写真 が沢山ありますのでご覧下さい。

また、2015年末に観音寺城の追手道がボランティアの皆さんの努力によって整備され、御屋形跡から池田丸まで、だれでも安全に登れるようになっています。 この追手道の様子もこちらで詳しく紹介 しています。

観音寺城と佐々木六角のの歴史に興味がある方はぜひ、観音寺城|近江源氏佐々木六角 をご覧ください。

後藤但馬守賢豊いざ登城

今日は朝から天気が良いので、後藤の殿様気分で観音寺城に登城することにした。
あいにく馬が用意できないので、自転車で行くことにする。
何のことやらワケのわからない人は、以下のページを参照のこと。
観音寺城 観音寺騒動 後藤賢豊 後藤館

まず出発地点に向かう。後藤館までは5 分くらい。 地図 を確認。後藤館は小沢工務店のすぐ東側にあり、なんと現存する土塁が地図上にしっかり示されている。

草に覆われて石が見えない虎口の石垣。良く見るけっこうアバウトに積みなおされているのがわかる。金網がじゃま。撮影のアングルもイマイチ。虎口越し後方に土塁が見える。

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虎口の右手横側から北東を見る。後方には土塁が見える。屋敷の中は耕作地になっている。
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東側の土塁を、西にレンズを向けて撮影。後方は雪野山。
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東側の土塁と堀を、南西にレンズを向けて撮影。後方は雪野山南東部の川守城址付近。
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北側の土塁と堀を、西にレンズを向けて撮影。後方は雪野山、万葉歌坂付近。
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案内板
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後藤館の敷地はかなり広い。なぜ、後藤城と呼ばずに後藤館と呼ばれるようになったのだろうか?おそらくこの近く、たとえば雪野山山頂などに別の後藤城なるものがあったのではないだろうか?

 

観音寺城はこの案内板付近の北東方向に位置する。写真前方の左側に写っている山が、観音寺城がある観音寺山で、右が箕作山。観音寺山と箕作山の間に中山道が通っている。
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今日は後藤の殿様が登場に使ったであろう道をたどる。そのためにまず、後藤館から東側約 1km のところにある観音寺街道に出る。観音寺街道に出る道は何本かあるが、まずは北に向いて出発することにする。正面に観音寺山が見える。自転車にまたがり、いざ出発!
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農道と通学路を経て観音寺街道に出たところ。名前からして、後藤の殿様が通った道に間違いない!はず?道は北に区かってまっすぐ延びている。前方右側に見えるのは観音寺山。そしてその右には箕作山が見える。
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八風街道を越え、内野の集落あたりまできたところ。道端にはきれいなコスモスが咲いていた。
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中仙道との交差点。電柱が多すぎ景観がだいなし。
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中仙道に入る。
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途中の西老蘇付近の鎌若神社。
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鎌若神社の参道。
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少し進んだところにある轟地蔵。
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有名な奥石(おいそ)神社。老蘇の森の一角にある。後藤賢豊がこのあたりで殺害されたという一説もある。
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奥石神社の参道。
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奥石神社の前を道なりに進むと、国道八号線にぶつかる。交差点には歩行者のための地下道があり、壁面には周辺の史跡を紹介するイラストが描かれている。
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交差点を越えて観音寺山を望む。
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麓の石寺集に入りって坂を上り始めたところ。民家も石垣の上、畑も石垣の上。
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ついでに、電柱も石垣の上。ここでは全てが石垣の上にある。まさに石垣の無駄遣い状態。
このあたりに自転車を置きあとは徒歩。
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坂の左手に延びている見事な石垣。畑にしておくのはもったいない。
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さらに坂を上ると、天満宮、観音正寺参道、日吉神社との分岐点に出る。
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分岐点から中央の赤坂道を少し進むと、本谷筋と赤坂道との分岐点に出会う。
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また、この分岐点の右手には間道の入り口らしく見えるところがある。
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本谷筋を示す道案内。この案内板の示す先にはしのべ竹が生い茂っており、とうてい足を踏み入れることはできそうにない。観音寺城の案内板は、行けっこ無い方向に向いていることがある。
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南斜面から山頂に向かう場合には、赤坂道を利用するのが一般的。しかし今回は、尾根筋の大手道を通って登城する。

後藤邸は本谷筋を直進した終点にあるので、できることなら本谷筋を上りたい。しかし事前のチェックで、林道と交差する地点より先の道は簡単に通れそうにはないことがわかっているので、本谷筋からの登城は断念し尾根筋の大手道でがまんすることにした。

そこで、大手道の入り口に向かうべく坂を引き返す。大手道の入り口へは、先ほどの石垣作りの畑の前の道を通って西に向かう。この畑の西の角には立派な石段の入り口がある。
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大手筋入り口に通じる道。左手に石垣作りの畑があるが、当時は何か建物あったのではないか?
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道を越えたところが大手道の入り口。
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石段を登り大手道の入り口。に入る。中に入ると右下はけっこう深い谷になっている。
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この道の入り口付近は道幅が狭く草も多いが、進むに従いだんだんと開けてくる。
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さらに進むと天満宮に続く階段の上り口付近に出る。
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この交差点を横切った先は竹林だが、直進方向にも道らしき形跡がのこっている。これが本谷筋の入り口であると言われている。この道に入るとすぐに道筋ははっきりしなくなるが、確かに谷筋に到達することができる。この入り口は大手道に通じる天満宮の、入り口階段付近に位置しており、階段に向かって右手方向になる。よってかつてはこの付近で、大手道を登るか谷筋を登るかの選択が行なわれていたのではないか?
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階段の上り口には天満宮入り口を示す石柱がある。しかし階段は天満宮が置かれる以前に、佐々木六角氏の御屋形屋敷のために作られたものであり、本来は天満宮の施設ではない。
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見事な石の階段。本丸下の石段に良く似ている。
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階段を登る途中、右手を見ると立派な石段が見える。
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階段を登りきった正面には御屋形屋敷の案内板がある。この西側(写真正面)にはしっかりと土塁で囲まれた別の郭がある。
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東側の奥には天満宮がある。
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大手道は天満宮の右から尾根に続いている。
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ここらでルートの確認。この先、天満宮から始まる最後のやじるしの方向に進む。
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天満宮の右から 20-30メートル入ったところで、道は御屋形屋敷を囲むように左手にまがっているが、道なりには進まず右手に折れ、尾根に向かってに登る。良く見るとなんとなく道らしきものがある。
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尾根にはすぐに到達する。尾根にはわりとしっかりした道が残っている。
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上って行くと、ところどころに石垣の崩れたような跡があるが郭のようなものは見当たらない。
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大きな岩を迂回するように道が続いている。
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枯れ枝や倒木によって道が塞がれているところがある。
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道は細く、ところどころ塞がっているが尾根から外れないようにすれば迷うことは無い。
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林道に出る数メートル手前。
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防火用水が置いてある林道の待避所に出る。
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ここに出る。(後日撮影)

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大手道は直進しているが林道で道が切断され、目の前は絶壁が立ちはがかっている。このため、絶壁をよじ登るかまたは迂回するかの選択が迫られる。
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迷わず迂回することに決め、林道を下る。
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10 メートル あまり下ったところで覚悟を決めて突入。
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道らしきものは無いが、よじ登らなくてはならないほどではない。
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5分くらいで尾根(大手道)に出られる。結構しっかりした道が残っている。
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ところどころに倒木があり、これらが処理された形跡も残っている。
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道の勾配の急な部分では、石段が姿を現す。
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大石垣の少し手前には、崩れかけた石垣がある。
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大石垣に到着。中央付近から右側を見る。
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大石垣の中央付近から左側を見る。
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大石垣の左端から右側を見る。
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さらに上に進む。道ははっきりしているが道幅は狭く、右側は深い谷になっている。
(写真は 10度以上右に傾いている?)
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さらに少し進むと T 字路になっているところに出る。ここでは左上方向に進まなくてはならない。右に曲がると池田邸下の大きな広場に出る。
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だんだん勾配が急になってくる。
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右手には小さな石垣が見えると、すぐその上は池田丸。
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無事池田丸に到着。
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ここから前には進まず来た道を戻り、池田丸下の広場を探検する。
写真は池田丸から来た道を写したもの。この道を一旦下る。
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5枚前の写真のところまで戻る。ここからは下(来た道)には下らず、道なりに直進する。
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すぐに広場に出る。尾根側には見事な石垣が続いている。
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石垣が途切れているあたりから尾根方向に向かう道のようなものがある。ただの獣道か?
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前を見ると竹林。
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竹の多いあたりまで進むと大きな石が転がっている。これには扉石という名前がついている。
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角度を変えて扉石をもう一枚。さらに先に進み、谷を渡り新藤邸を経由して後藤邸に到達することができるが、蚊が多いので一旦池田丸に戻ることにした。
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池田丸に戻り本丸方向の入り口付近から西(宮津口方向)側を見たところ。
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池田丸の本丸側にある入り口の石段を下りたあたりから、池田丸を見たところ。
本丸方向から来た道が突然行き止まりになっているのは、山の斜面が崩落したため。
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本丸方向に進む。この道にはところどころに立派な階段がある。
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落合丸の中央付近。中をのぞかず通りすぎる。
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道の真ん中に不思議な石積みがある? これは何?
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階段を登ると、有名な平井丸の入り口。
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平井丸の階段下付近から落合丸を見る。
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平井丸の階段下付近から本丸方向を見る。
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巨大な石が用いられている平井丸の見事な石積。
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平井丸の埋門。倒木が覆いかぶさり崩れそうになっている。
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さらに本丸方向に進むと、道幅が急に広がったところに出る。これはただの道ではなく三の丸。
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さらに進み小さな石段を上がると、本丸に延びる見事な階段が現れる。
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階段の中央付近右手には、暗渠排水路の排水口がある。
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暗渠排水路は階段側面に施設されたの排水溝に繋がっている。
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本丸には上がらず、観音正寺方向に下る。
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観音正寺の本堂まで下ったあたりで右手の藪に入ると、新藤邸と後藤邸の間の石段の施設された道に出ることができる。小生の経験上、後藤邸にはこの道が一番入りやすいが、突入の矢先に蛇を踏みそうになったので断念。
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ということで、今日は後藤邸には入らず戻ることにし、とりあえずは観音正寺の喫煙所で一休みすることにした。この左側の壁は石垣でその上に観音正寺がある。
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ここまでのルートをおさらい

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観音正寺を出る。
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さてどこから下りようか?と思案しながら川並道を下る。
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権現見付を越え、来た道を振り返る。
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権現見付の石垣の裏から下の郭に下り、多くの石垣を眺めながら山を下ることもできる。しかし竹やぶには蚊が多いのでこれも却下。
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そこで、今日はお茶子谷筋を降りることにして、川並口方向に進む。お茶子谷筋は、このお茶子地蔵のあたりから始まっているはずだが、入り口を見つけることはできない。
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せっかくなのでこのまわりを徘徊する。お茶子地蔵の 10メートルほど先には、布施淡路丸への登り口がある。
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さらに数十メートルほど下と、駐車場の手前には目賀田屋敷跡がある。
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いよいよお茶子谷筋から山を下る。お茶子谷の入り口はイマイチ適当なところが無い。以前、コンクリートブロックを乗り越えて下りたことがあるがこれは危険なので、一旦この郭の左の道から下におり、お茶子谷に水平移動することにする。この郭はお茶子地蔵からは100メートルくらい観音正寺側に行ったところにある。
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郭の左の道を降りる、ただの道ではなく石段になっている。
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数メートル下ったところから来た道をふり返る。
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この道沿いには石垣が多い。これは一つ目の石垣。
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少し下ると2つ目の石垣がある。
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さらに下ると 3つ目の石垣がある。さらにの下にも立派な石垣を持つ郭があるが、きょうはこれを見ずに、お茶子谷の方向に水平移動する。
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お茶子谷筋に通じじる道。郭近くでは道がはっきりしているが、少し進むとわからなくなる。
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お茶子谷筋に到着。ここは松岡邸の少し上あたり。小さな石垣がある。お茶子屋敷か?
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ここからお茶子谷筋を下る。このあたりの道ははっきりしている。
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少し下ると松岡邸に出る。郭から下り方向を望む。正面にはこの郭の石垣が見える。
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松岡邸の石垣
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お茶子谷筋をさらに下る。このあたりの道ははっきりしている。
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鯰江邸に到着。ここにはいつも水びたしで、上から見るときらきら光って見える。
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さらに下る、わりと道「ははっきりしているが、倒木などで道が塞がっている箇所もある。
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下るに従ってだんだん道がわかりにくくなってくる。
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道はだんだん谷に近づいていく。谷に近づくにつれ道はほとんどわからなくなるが、下るのにたいした艱難は無い。谷にはちょろちょろ水が流れている。
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さらに下ると道は谷からだんだん離れてくる。このあたりの道はわかりにくいが、出口に近づくと急に道がはっきりしてくる。
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出口手前から来た道を振り返る。
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出口を出て少し下ったところから振り返る。下からこの階段を直進するとお茶子谷筋に入る。ここで左に曲がると、観音正寺の参道である赤坂道に合流する。
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立派な石の階段が続いており、ここを下ると 十字路に行き当たる。
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T 字路から階段を振り返る。
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バンタ坂方面に下る。枯れた竹が道を塞いでいる。
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バンタ坂に下り、来た道を振り返る。
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バンタ坂を下る。このあたりは竹藪も石垣の上。というか、石垣作りの屋敷跡が全て竹やぶになってしまっている。
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バンタ坂出口近くには地蔵が祭られている。
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馬がわりに活躍してくれた自転車。バンタ坂の西のはし。
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本日の全コース
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地図は田中政三著、近江源氏 第一巻 まぼろしの観音寺城から引用させていただきました。
著作権上の問題がございましたらご指摘下さい。   yukio@jono.jp

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