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観音寺山から安土を望む

この記事の公開日は2008年10月15日です。日付を修正して表示順序を変えています。

観音寺山(繖山・きぬがさやま)と安土山は地続きになっており、峠道である京街道(挑戦人街道)を超え尾根伝いに安土山に入ることができる。観音寺山の山頂(繖山三角点)付近は非常に見晴らしが良く、安土山および安土山までの尾根筋が一望できる。

織田信長は、観音寺城を落としたあと観音寺山から安土山を眺め、即座に、そこに安土城を築くことを決めたのではないか?と考える人も多い。そのころ琵琶湖の湖面は安土山の麓にまで達しており、ちょうど安土山は琵琶湖に突き出す半島のようだったらしい。それを見て信長は、防御面に加えて海運上の利便性に気付き、そこに築城することを即決したとのではなかろうか?

また、観音寺城と安土山とは絶妙な位置関係にある。信長は観音寺城を詰め城として使用することなどさまざまなアイデアを膨らませたに違いない。事実、観音寺城は安土城築城後もすぐには廃城にはならなかったらしいが、信長が観音寺城をどのように考え、活用したのかたいへん興味深いところではある。

講釈はさておき ...

尾根続きの山の正面付近(写真の真中)が安土山。その後ろに西の湖が見えさらにその背後に八幡山がそびえている。そしてその後ろは琵琶湖。観音寺山尾根筋の左側は安土町。右側は東近江市、そして西の湖の後方は近江八幡市。なお、2010年 3月に安土町は近江八幡市と合併し、近江八幡市安土町となった。
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安土山の左(西)側には安土城の城下町として栄えた下豊浦(しもといら)の集落が広がる。
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尾根道は良く整備されており歩きやすい。
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東近江市能登川町方向をのぞむ。右側の山すそには須田の集落が広がる。正面には伊庭内湖が見える。
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観音寺山は尾根筋の見晴らしもステキ!

ついでに、観音寺山から見える冬景色はというと、こんなかんじ。
繖山三角点から、尾根伝いに500mくらい北に進んだところ。安土山/下豊浦/西の湖方面
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安土山 / 南須田 / 伊庭内湖方面.。
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山の反対側の景色。眼下の集落は、東近江市五個荘町。
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ついでに、別の日にとった一枚。見晴らしが良いのは 2001 年の山火事で樹木が消失したため。
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この尾根伝いの道は雨宮龍神社や北向き11面観音を経て、猪子山北端まで続いており、北端を尾根伝いに東に折れたその先には佐生城がある。

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