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December 2008 Archive

観音寺城の山裾、バンタ坂と景清道

麓のバンタ坂と景清道の散策。この 2 つの道を歩けば観音寺城石寺側の麓のようすがだいたいわかる。ということで、今回は10月11日にこの付近を徘徊した時の記録。

いまさらながらの石寺楽市物産館。今回もここから出発。
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まずは、観音正時参道からバンタ坂に入り、道草をしながら教林坊裏手あたりまで歩く。
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バンタ坂の入り口。
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バンタ坂に入るとすぐに下の広場につながる石積みのスロープがある。下の広場に降り、スロープと道を見上げたところ。
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道の山側には石垣が続いているが崩れているところが多い。
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石垣の上は屋敷跡。ところどことに山上方向に向かう道がある。
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同じような道がしばらく続く。道の両側は竹薮。雑木が混生しているところも多い。
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振り返って見る。
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住宅地に抜ける直前。
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住宅が見え始める。
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住居も小屋も庭も畑も、ここでは何もかもが石垣の上にある。
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だいぶ手が加えられているが、もとは観音寺城時代の排水路か?
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暗渠の開口部
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さらにこの舗装された道を前進。
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この先もうすこしで行き止まり。
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最後の民家の角で振り返る。
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この石垣の先(写真右端から数メートル)で道は行き止まり。
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向かいの田のあぜ道から見る。
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行き止まり直前の石垣。道と石垣入り口には石段が設けられている。
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石垣の上にのぼり民家方向(来た道)を見る。

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道の石段を上り山中に入るとそこにはまた石垣。きりが無いので左手に折れ教林坊方面に向かう。
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教林坊の入り口付近に到着。
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門をくぐる。
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門の先はこんな道。
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教林坊には入らず、この周辺を徘徊。
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道沿いの川はお茶子谷の谷水の排水路だと思う。
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前に見える橋を渡り、左手方向に下りる。
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石垣で固められた一角。このまわりを一周してみる。
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どんどん下りる。
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途中で振り返る。
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下りきったところで来た道を振り返る。
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一角の反対側の道を上る。この道は赤坂道。この先で観音正寺参道に合流する。
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手入れされておらず荒れ放題。
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見覚えのある、教林坊の裏手付近に出る。
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ここは、景清道。道の右側は、教林坊を囲む塀。石段のある左側の郭は墓地になっている。
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景清道はこの先、観音谷、源三谷方向に延びている。
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景清道は、平景清が尾張から京都に向かう時に通った道とされているが、観音寺城域においては、山上に向かって延びる複数の登城道を結ぶ道として、非常に重要な道であったと考えられる。例えば、この図のように景清道を辿ると、道沿いに多くの武家屋敷や寺院あとが見られるだけでなく、山上に延びる 5 本の道筋の入り口に出会う。山すそに近いところを横に走っている道なので、当たり前といえば当たり前ではある。このため、新しい登り口を見つけるには、この道を歩くのが一番手っ取り早い方法であるといえる。

麓を横切る景清道と登城道筋。今回は源三谷までは行かず、観音谷付近で引き返す。
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塀の途切れたところから、教林坊を覗く。
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塀の反対側(山手方向)のお茶子谷沿いの道に入ると、右手に立派な石垣が見える。この先は倒れた竹で道が塞がっているが、踏み越えて無理やり進むとお茶子谷筋に出られる。おそらくここがお茶子谷筋への正しい入り口だと思う。
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石垣の手前側の側面。地図によるとここは青地邸。
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景清道に戻る。道沿いに石垣が続いており、その石垣の一部に入り口らしきものがある。
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中を覗いたところ縦も横も埋まっており、これが何なのかを知る手がかりはつかめない。
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道沿いには屋敷跡と石垣が続く。道の周りは竹林で、雑木が混生しているところも多い。
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観音谷近くまできたところ。
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振り返って見る。
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景清道を示す案内板。
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谷にかかる橋。たぶんこの谷は観音谷。
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少し進むと畑地になっている広場に出る。地図によるとここは古観音堂跡。
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棚田のように積み重なった畑地の側面は石垣で固められている。
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景清道はこの先、源三谷に向かって延びているが、ここいらで引返すことにした。
来た道を戻り、教林坊の裏を通り過ぎて観音正寺参道までたどり着いたところ。
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景清道はこの観音正寺参道を横切って延々と続いている。この先を行くと本谷筋に出会い、鳥打峠を超え宮津口筋や薬師口筋の入り口付近に到達するはずであるが、今日はこれで終わり。

後藤喜三郎、山崎、目賀田邸付近

麓からお茶子谷筋を上ると中腹あたりから谷は2手に別れる。この2つの谷のうち観音正寺寄りの谷を辿って上ると、深い竹薮に出くわす。このあたりには石垣を持つ多くの郭が存在する。

縄張り図によると、この一角には後藤喜三郎邸、山崎邸、目賀田邸の名が示されている。もちろんこの目賀田邸は、源三谷を上りきったところにある目賀田邸のことではない。

1 年ほど前、このあたりで竹に覆われた巨大な石垣に遭遇した。そのときは、道らしきものがが見つからなかったのでお茶子谷方向に戻ったが、もう一度見てみたくなり、再度この付近に足を踏み入れた。 

場所はおおよそこのあたり。
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なおこの地図は、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課による、観音寺城石垣調査報告資料から引用させていただきました。

まずは去年見た石垣から。

2007年10月 - 竹に覆われた 3 - 4メートルほどの高さがある石垣。残念ながらピンボケ。
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あまりにも唐突に立派な石垣が現れたので、感激して上に上ってみたが写真は無い。

2007年10月 - 同じ石垣を少し離れて撮影。石垣は竹に覆われほとんど見えない。
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とにかくこの付近は竹が多い。よほど近づいてからでないと、このような石垣の存在に気づくことは無い。この付近は、21 年度の石垣調査の対象範囲に含まれている場所なので、竹の伐採が進むことが期待される。

2007年10月 - お茶子谷に到達する手前で出会った石垣。
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ここから先は今回出合った石垣。

観音正寺参道(あかさか道)赤坂見付け付近から山中に突入した。崩れた小さな石垣が至る所にあり、立派な石垣も多くのこっていた。しかしながら、1年前に見た石垣を見つけることはできなかった。

高さ 2.5 メートル、幅 15 メートルくらいだったと思うが定かではない。
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石垣の側面のところどころから、大木が生えており痛々しい。

石垣の左 3分の 2
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石垣の右 3分の 2
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この石額は積み方が他の石垣とかなり違う。これは本当に城郭の石垣なのか? また下には谷が広がっている。近年の砂防の石垣のようには見えないが、一応、上に上って郭の様子を見てみることにした。

この石垣の郭?の様子。きれいに削平されているように見える。
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少し上ったところでまた美しい石垣に遭遇。
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この石垣はさほど大きくはないが、整った形をしている。また比較的急ば斜面に積まれているが、全く崩れていない。このようなものが何百年もの間、原型をとどめている事自体たいへん不思議なことではある。

さらに少し上ると、また大きな石垣が現れる。
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この石垣は川並道まであと 20メートルくらいの位置にある。ここからまっすく上ったところ、川並道の、権現見付けと観音正寺境内入り口の中間付近に出た。

いくらなんでも観音寺城には石垣が多すぎる!と今日もまたあきれはてた。

観音寺城の支城、長光寺城

観音寺城の支城である 長光寺城 の整備が進んでいるという話を聞いたので立ち寄ってみた。

雑木が伐採され、縄張り図にあるほとんどの遺構に立ち入れるようになっていた。本丸で偶然にお会いした東近江市の調査員の方にうかがった話によると、縄張り図に無い郭が姿を現したとのこと。来年は、近江八幡側でも雑木が伐採されることになっており、整備はさらに進む。

この 長光寺城 には現在 4 本の上り口があり、いずれ山頂にある城域までしっかりした道がつながっている。中でも面白いのは、大手口と考えられる長福寺町日吉神社周辺の上り口。

日吉神社の一角には不二滝という信仰の対象になっている滝と社がある。あまり話題に上ることはないが、ここはかなり面白い。この一角は土塁で遮断されており、後世のものではあるが、土塁を超えるためのトンネルが設けられている。またこの周辺は(今は畑になっているが)石積みで固められた施設の敷地跡らしきもので埋め尽くされている。

神社や滝に、防御のための土塁が必要なわけはないので、ここには防御の必要な施設があったのではないか?それとも、これは長光寺城を守るための遺構なのか?と興味は尽きない。

長光寺城(瓶割城)本丸
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本丸の案内板
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本丸北側側面の石垣
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堀に掛けられた土橋
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堀におり土橋ごしに堀のようすをうかがう
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堀本丸周辺の遺構と案内板 - 武者隠し
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古井戸、三の郭の案内板
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長光寺城へは、日吉神社の多目的広場の角から山道を上る
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日吉神社の一角にある不二滝
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立派な石垣
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不二滝エリアは3 メートルくらいの高さがある土塁で遮断されている。現在は途中で切断されているが以前はこのエリア全体が囲まれていたのではないか?土塁にはトンネルが設けられている。
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トンネルと出て外側から見たところ
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土塁は、日吉神社参道入り口の鳥居付近で、刃物できったようにばっさり切断されている。
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追記:
その後、文献および発掘調査記録を調べたところ、この土塁に囲まれた一帯には根小屋があったということであった。また、享禄4年(1531年)から天文3年(1534)までの3年間、室町幕府第12代将軍足利義晴が桑実寺正覚院に仮幕府をおいた際、義晴がこの場所にも一時期滞在したということであった。

本谷筋、後藤邸付近の竹が消滅 1

今日、本谷筋を覗いてみたところ、通行く手を阻んでいた竹が伐採されて普通に歩けるようになっていました。以前は観音寺城の大手道、本谷筋を下る のように竹が密集していましたが、伐採により道の両側の石垣がよく見えるようになりました。

なお伐採されていたのは谷道に下りる手前の、後藤・進藤郭郡付近のみであり、その先は以前と変わりは無かった。

本谷筋の入り口付近。道に沿って竹が伐採されていた。
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切り口はこんな感じで、できたてホヤホヤでした。
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竹や雑木に覆われていた石垣もこのとおりすっきりくっきり。
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石段の様子も良くわかる。
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伐採されていたのは、後藤邸の中段付近まで。ここから先はおあずけ?

ということで、本谷筋を引き返し発掘現場に向かう。

少し前、覗いてみた時と変わっていない。発掘はこれで終わり?
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排水溝を覆っていた土砂/堆積土が取り除かれていた。暗渠の行き先を調査中?
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周辺の竹が伐採されていた。
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今日はここまで。

そしてこの 1 年後、後藤邸付近に再度立ち寄ってみたところ、さらに伐採が進んでいた。そのようすを 本谷筋、後藤邸付近の竹が消滅 2 でご紹介しています。

以下は発掘調査の結果を受けて追記:
大手階段から、道がどのように下に延びて本谷筋につながっているかが大問題。研究者のあいだでは三の丸と伝承されている南側の郭に枡形虎口でつながっているのではないかという説が有力であったが、今回の発掘の結果、ここには枡形虎口も三の丸に通じる階段も存在しなかったことが判明した。

では、この階段から道は下にどのように延びていたのか? おそらく、もともとは三の丸と伝承されている郭が大手階段の下あたりまで広がっておりおり、そこまで大手階段からの道が降り、そこで追手道と合流していたのではないか?そして、そこから下に下る一本の道で後藤・新藤郭郡の西の端を南北に走る道につながっていたのではないかと思う。実際にこのルートを下ってみたところ、確かに立派な道があり、新藤郭の西側を走る道につながっていた。

観音寺山、山裾のコスモス

観音寺山すそ、石寺地区のコスモス畑。10 月中旬の風景。かつては厳しい戦いの場であった観音寺城と、そこに向かう人々の心を和ませるコスモス畑との絶妙な組み合わせ。

赤、白、ピンク、紫の 4 色の花がバランス咲きそろっていて大変美しい。地元の方々の心遣いとご苦労に感謝!

ちなみに、「コスモスの種類」で検索て調べたところコスモスの品種は、センセーションまたはベルサイユの色違いのようだが、紫色については不明。

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