- December 21, 2008 8:14 PM
- 城域周辺の様子と観音寺城の支城
観音寺城の支城である 長光寺城 の整備が進んでいるという話を聞いたので立ち寄ってみた。
雑木が伐採され、縄張り図にあるほとんどの遺構に立ち入れるようになっていた。本丸で偶然にお会いした東近江市の調査員の方にうかがった話によると、縄張り図に無い郭が姿を現したとのこと。来年は、近江八幡側でも雑木が伐採されることになっており、整備はさらに進む。
この 長光寺城 には現在 4 本の上り口があり、いずれ山頂にある城域までしっかりした道がつながっている。中でも面白いのは、大手口と考えられる長福寺町日吉神社周辺の上り口。
日吉神社の一角には不二滝という信仰の対象になっている滝と社がある。あまり話題に上ることはないが、ここはかなり面白い。この一角は土塁で遮断されており、後世のものではあるが、土塁を超えるためのトンネルが設けられている。またこの周辺は(今は畑になっているが)石積みで固められた施設の敷地跡らしきもので埋め尽くされている。
神社や滝に、防御のための土塁が必要なわけはないので、ここには防御の必要な施設があったのではないか?それとも、これは長光寺城を守るための遺構なのか?と興味は尽きない。
長光寺城(瓶割城)本丸
本丸の案内板
本丸北側側面の石垣
堀に掛けられた土橋
堀におり土橋ごしに堀のようすをうかがう
堀本丸周辺の遺構と案内板 - 武者隠し
古井戸、三の郭の案内板
長光寺城へは、日吉神社の多目的広場の角から山道を上る
日吉神社の一角にある不二滝
立派な石垣
不二滝エリアは3 メートルくらいの高さがある土塁で遮断されている。現在は途中で切断されているが以前はこのエリア全体が囲まれていたのではないか?土塁にはトンネルが設けられている。
トンネルと出て外側から見たところ
土塁は、日吉神社参道入り口の鳥居付近で、刃物できったようにばっさり切断されている。
追記:
その後、文献および発掘調査記録を調べたところ、この土塁に囲まれた一帯には根小屋があったということであった。また、享禄4年(1531年)から天文3年(1534)までの3年間、室町幕府第12代将軍足利義晴が桑実寺正覚院に仮幕府をおいた際、義晴がこの場所にも一時期滞在したということであった。
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