- December 20, 2008 10:22 PM
- 大手道(本谷筋)とその周辺
今日、本谷筋を覗いてみたところ、通行く手を阻んでいた竹が伐採されて普通に歩けるようになっていました。以前は観音寺城の大手道、本谷筋を下る のように竹が密集していましたが、伐採により道の両側の石垣がよく見えるようになりました。
なお伐採されていたのは谷道に下りる手前の、後藤・進藤郭郡付近のみであり、その先は以前と変わりは無かった。
本谷筋の入り口付近。道に沿って竹が伐採されていた。
切り口はこんな感じで、できたてホヤホヤでした。
竹や雑木に覆われていた石垣もこのとおりすっきりくっきり。
石段の様子も良くわかる。
伐採されていたのは、後藤邸の中段付近まで。ここから先はおあずけ?
ということで、本谷筋を引き返し発掘現場に向かう。
少し前、覗いてみた時と変わっていない。発掘はこれで終わり?
排水溝を覆っていた土砂/堆積土が取り除かれていた。暗渠の行き先を調査中?
周辺の竹が伐採されていた。
今日はここまで。
そしてこの 1 年後、後藤邸付近に再度立ち寄ってみたところ、さらに伐採が進んでいた。そのようすを 本谷筋、後藤邸付近の竹が消滅 2 でご紹介しています。
以下は発掘調査の結果を受けて追記:
大手階段から、道がどのように下に延びて本谷筋につながっているかが大問題。研究者のあいだでは三の丸と伝承されている南側の郭に枡形虎口でつながっているのではないかという説が有力であったが、今回の発掘の結果、ここには枡形虎口も三の丸に通じる階段も存在しなかったことが判明した。
では、この階段から道は下にどのように延びていたのか? おそらく、もともとは三の丸と伝承されている郭が大手階段の下あたりまで広がっておりおり、そこまで大手階段からの道が降り、そこで大手道と合流していたのではないか?そして、そこから下に下る一本の道で後藤・新藤郭郡の西の端を南北に走る道につながっていたのではないかと思う。実際にこのルートを下ってみたところ、確かに立派な道があり、新藤郭の西側を走る道につながっていた。
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