- November 30, 2008 1:59 PM
- 埋れた登城道を下る
この記事の公開日は2008年12月8日です。日付を修正して表示順序を変えています。
以前から気になっていた宮津口筋を下りてみた。
山腹を西側に下りる宮津口筋があまり話題になることはない。しかし落合丸に宮津口があることに加え、池田丸にも平井丸にも西側に、宮津口筋につながる木戸口が付けられている。さらに本丸から池田丸に続く尾根筋の郭の西側には、立派な石垣を持ついくつもの郭がある。宮津口筋はこれらの郭と山裾との往来には無くてはならない重要な道筋であったのではないかと思う。
この道筋を下るにあたり、予備知識を得ることができなかったので若干の不安があlった。しかし実際に歩いてみると、道筋がはっきりしないところは多いものの、周囲は明るく安心て歩くことができた。またこの道は迷う心配のほとんどない無いまっすぐな道だった。
落合見付を出た後、道らしくみえるところを下りいくつかの石垣の間をとおり過ぎると、谷に合流する。そしてこの谷と谷沿いに道をどんどん下っていったところ、宮津ではく桑實寺の参道入り口付近に出た。
結局のところ、下り着いたところが宮津ではなく桑實寺なので、言い切る自信はないがたぶんこの道が宮津口筋なのだと思う 。
まず、落合見付(宮津口)を出てすぐに左に折れ、石積みの裏側(犬走り)を進む。
地図に示された方向に道らしきものが続いている。その道を少し下ると小さな石垣に遭遇。
崩れた石垣が多く、道や道の両脇に崩れ落ちた石がごろごろ転がっている。
木々が生い茂っているが、なんとなく道はわかる。
突然大きな石垣が出現。これは立派!
上下 2 つに分れており、一つの石垣の上にもう一つの石垣が積まれているように見える。
角の部分は崩れている。
この道筋には石積が多いがその大部分は崩壊している。
こんな道が続く。
崩れた石垣
この石垣はまだ原型を留めている。
この先 10 分間くらいは石垣はない。
下るにつれ道がだんだんはっきりしてくる。道は明るく巨石が多い。これはたぶん古墳。
しっかりと蓋がしてあるように見える。未盗掘?
砂防の石積みの脇を下りる。この谷筋にはこのような砂防の石積がところどころにあるが、これらはあきらかに新しい時代のものであり、観音寺城とのかかわりは無い。
道は広く歩きやすい。このあたりに来ると断続的に石段が現れる。
この道を下りきると、桑實寺の参道入り口付近に出る。手前に見える石段は桑實寺参道。
この後、来た道を引き返す。以下は尾根付近まで戻った後の写真。
尾根に近づいたあたりでうっかり北側にそれてしまった。道には石段が埋設されている。
巨大な石垣が出現。高さ 4-5m 、長さ 30-40 m くらいはありそう。孫次郎邸?
この石垣の郭に入り、石垣の上から下を見下ろす。
観音寺城西側の遺構があまり話題になることは無いので、これほどまでに立派な石垣があるとは思いもよらなかった。
それにしても、観音寺城には登城道が多く合計14 条の道があるといわれている。宮津口筋のその一つであるが、今日歩いた立派な道はもしかすると宮津口筋では無く間道なのかも知れない。はたしてこのような間道はどこに、そしていくつあるのか?その全容に興味は尽きない。
追記: その後入手した情報によると、この道は間道ではなく、まさしく宮津口筋として伝承されている道であるらしい。また、故田中政三氏の著書である幻の観音時城には、この道の東側(桑實寺側)の尾根を越えた次の谷に、石を敷き詰めた立派な間道があることが紹介されている。
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