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観音寺城の大手道、本谷筋を下る

この記事の公開日は2008年10月13日です。日付を修正して表示順序を変えています。

観音寺城、後藤邸と新藤邸の間の道を経て、本谷筋を下る。

本谷筋は、観音寺城h本丸に登る大手道とされている。また六角氏の有力家臣であり、観音寺騒動で殺害された後藤氏の郭(後藤邸)脇をとおる重要な道である。おそらく後藤但馬守賢豊は、この道のどこかで殺害されたのではないか? ... ということで、観音寺城フアンとしてはこの道の探検を外すことはできない。

入り口はここ(別の日の写真を再利用)
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いまでは、この入り口からしか大手道を下ることができないが、当時ここから下に延びる道のすべてが大手道とされていたはどうかは不明。 山裾から大手道をまっすぐ登るとここに到達するが、本丸大手階段へのルートとしては不自然である。 しかし、大手道と呼ばれていなかったとしても、この道が城内の主要な施設を結ぶ重要な道であったことには間違いないはずである。

中に入るとすぐに小さな郭がありその左脇に道らしきものが延びている。道を少し下ったあたりから先は竹の密林。
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道は山すそに向かって真っ直ぐに伸びており、左右に石垣が現れる。道のところどころに石段があるのがわかるが、土砂や堆積土で埋まっているので道の姿ははっきりしない。
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石垣が断続的に続く。山すそに向かって左が後藤邸で右が新藤邸。(たぶんこれは進藤邸の石垣?)道幅はよくわからないが、後藤邸側と進藤邸の石垣の間隔が 3 メートルくらいなので、道幅は 2メートルくらいなのではないか?
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後藤邸の崩れた埋門。門の向こうに郭の中が見える。
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道の左右には石垣が断続的に続く。振り返って見ているので左が新藤邸。
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進藤邸の石垣は、典型的な算木積みであるが、2 番石と呼ばれるつめ石な抜け落ち隙間だらけ。

さらに石垣の間の道を下る。この前方はとても進めそうにないくらい、くしゃくしゃに見える。
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枯れ竹が視界をふさいでいる。写真の縦横がわからないくらいに荒れている。
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倒れた枯れ竹をくぐったり踏み越えたりしながら前に進む。この道の右側は浅い谷。DSC_0758.JPG

後藤・新藤邸を過ぎてしばらくすると、竹林から雑木林に変わり道は谷に合流する。合流地点の前方には大きな段差があるので、右に折れて谷に入る。
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谷には水草が生えている。
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道は次第に広く歩きやすくなる。
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さらに進むと林道に突き当たる。林道の手前に大きな段差があるように見える。このまま直進するのは危険なのでここから来た道を引き返すことにする。
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林道にはは大きな土管が埋められており、林道を貫通するトンネルになっている。
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林道から本谷筋の山手方向を見る(前々日に撮影)今更ながら、よくこんなところを歩いたものだと関心することしきり。
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林道から本谷筋の麓方向を望む(前々日に撮影)。この位置から見下ろすと、とても突入する気にはなれないが、山裾から登ったところ、それほど困難な道ではなかった。
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観音寺城の道筋を示す資料には、本谷筋の林道より少し下あたりに御幸橋という名の橋がかかっていたことが示されている。以前、その御幸橋がどこにあったのか知りたくて手本谷筋を山裾から登ってみたところ、そのあたりには立派な砂防ダムがあった。

砂防ダム -2007年10月の写真。この写真にお中央下にに写っている道には石段があった。
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この日は天気良く谷道に柔らかな日差しが差込み大変気持ちが良かった。そこで、ダムに登りまわりを眺めてみた。 確かに奥に道が延びているようだがこれはダムのへの取り付け道路? それとも、もともと御幸橋を通っていた道? いずれにしてもこの位置だとすぐに林道に出てしまうので、突入する価値は無さそうである。

ダムの上から西方向を見る。
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余談になるが、この本谷筋は昭和にいってからの治山工事により、大破壊が行われたとのことである。故田中政三氏によれば、昭和 5年に治山工事のための石材の確保と、木材運搬用の道作りに石材を利用するため、本谷筋の 4丁目から 11丁目までの間に存在した 20 数段にわたる郭の大石塁が完全なまでに破壊されたということであった。

本来ならば大手道(本滝筋)は最も重要な登城道であるはずだが、このような遺構の破壊のためか、現在ではその地位を完全に失ってしまっている。

本日歩いたコース - 図は田中政三著、近江源氏第一巻「まぼろしの観音寺城」から引用
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最後に、本谷筋(大手道)のルートについて確認しておきたい。上図によると本谷筋は、後藤・進藤郭郡への下からの入り口付近で右(東)に曲がっている。そして本谷筋は、この郭郡に入った後複数の道に分岐している。しかし、ここで分岐したいくつもの道の中のどれが、本来の本谷筋と呼ばれていたのか解説した資料はない。またこれを特定するための決め手になる、本丸下の大手階段へのメインルートもいまだ判明していない。ただし五個荘町史の中では、山裾から山頂までつながっている上図に緑色で示した道が本谷筋とされている。なおこの道の進藤邸北西付近は、崩落により消滅している。

この付近は大手道と追手道が交わるところであり、主要な区域に続く多くの道の交差点になっていると考えられる。もうすこしこのあたりの様子を知りたいのだが、あいにく密生した竹が進入を阻んでいる。

ということで、今回の紹介では後藤・進藤郭郡の中央を上がる道を、本谷筋(大手道)として取り扱ってはみたが、これが妥当であるかとうかについては不明。

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