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埋れた登城道を下る Archive

観音寺城、鳥打越え筋を下る

この記事の公開日は2010年4月8日です。日付を修正して表示順序を変えています。

観音寺城から西側には桑實寺に下りる薬師口筋と宮津地区に下りる宮津口筋、そしてもう一つ、尾根伝いに鳥打峠に下りる鳥打越えの道筋がある。そこで、前ページの 観音寺城、宮津口尾根筋ルートを探る で尾根まで登った後、続いて鳥打峠を目指して下りてみることにした。

なおこの道筋には麓に近づくあたりまで、リボンやペンキ、杭などにより目印が付けられていた。知らない道に入ってこれほど心強いものはない。

ところで、この道筋の目印は何のために付けられたのだろうか? 県教委の 22 年度の石垣調査?それとも、緊急雇用対策による整備の準備? はたまた、安土町合併後の、新近江八幡市の新しい事業か? いずれにしても、観音寺城マニアにとってはありがたい限りである。

またこの道筋の名前は観音寺城の縄張り図には登場せず、登城道として使用されたという伝承はない。しかし、安土中学校のすぐ裏あたりの山裾にも観音寺城の使節の遺構があることから、ここから観音寺城に向う場合の最短のルートとして、この鳥打越えルートが利用されていたのではないかと思われる。

観音寺城、宮津口尾根筋ルートを探る の一週間後のルートで紹介した宮津口筋らしき道を登り、観音寺城池田丸に繋がる尾根道に到着したろころ
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この西側すぐのところに大きな岩がる。その岩の上からの展望。残念ながら少しもやがかかっている。ここからは景清道や京街道(朝鮮人街道)を見下ろすことができ、観音寺城の裏手を見張るには絶好の場所であると言える
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宮津口筋はこのあたりから右手斜面に延びているので、この反対の左側に進めば鳥打峠に出られるのではないか?と勝手に思い込んで下山を開始した。

大きな岩のあたりから左手に折れる。この先にも目印が付けられており心強い。
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ピンクとリボンによる目印の先に道らしきものが続いている。
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奇妙な形の岩に出会う。振り返って見たところ
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砂防の石垣らしきものがある
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これも砂防の石垣?
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しばらくわかりやすい道が続くが、景清道らしき道と交差するあたりに近づくと、道はほとんどわからなくなる。かまわず直進して出口付近に達すると、外に向かって延びるしっかりした 道があったのでここから林道に出る。

林道に出て振り返ると、なんとここは今日の朝に入った入口。よってここは鳥打峠ではなく宮津
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鳥打峠を目指したのに、なぜか宮津に下りてしまった。いったいこの道は何なのだろうか?・・・ この疑問はさておき、今日はどうしても鳥打越えのルートを確かめたいので、舗装道路を鳥打峠まで歩き、そこから登りなおすことにした。

鳥打峠に到着。観音寺城方面への登り口(東側)
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以前ここには、鳥打越の道案内 があったが、なぜか撤去されている。
* 無許可でリンクさせていただいております。問題があればリンクを削除いたしますので、ご連絡ください。

町立図書館方面への登り口(西側)こちらにも登ってみたいが、しばらくお預け。この先の終点である
安土中学校の裏手付近には、竪堀や石垣など観音寺城の遺構が多く残っている。
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観音寺城方面への上り口を登って、道向かいの山(町立図書館方面)を望む
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道は狭いがわかりやすい
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登るにつれ大きな岩が目に付くようになる。
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山腹から尾根に入るというのではなく、ずっと尾根をあるいているという感じ
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ここはだいぶ、池田丸に近づいたところ。倒木の、起き上がった木の根っこが芸術的
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道にはテープや杭による目印が多く付けられている。この写真のところから 10分あまり歩くと、池田丸南西側の空堀に出会う

空堀から池田丸側の斜面を見たところ。この上は池田丸
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これで、鳥打越えのルートを歩ききったことになる。

このあと、宮津口の谷筋から下山する。半分あまり下ったところにある古墳らしき岩
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桑實寺参道との出会い付近まで下りたところで、景清道(らしき道)がどこまで続いているのか気になったので、いけるところまで行ってみることにした。 鳥打峠の近くまで繁みが刈り払われ、リボンと杭で目印が付けられている。このため難なく鳥打峠にたどり着いた。この先が気になるところだが、今日はこれでおしまい。

景清道(らしき道)から、鳥打越え入り口付近の尾根道を見上げたところ
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このページで紹介したルート
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今日は一日がかりで、宮津 → 山頂付近 (観音寺城、宮津口尾根筋ルートを探る の一週間後のルート)→ 宮津 → 鳥打峠 → 池田丸 → 宮津 → 鳥打峠、のルートを歩いた。まだ道筋は良く頭に入っていないが、いろいろな発見があり有意義な散策であった。

観音寺城、宮津口尾根筋を下る

この記事の公開日は2010年4月8日です。日付を修正して表示順序を変えています。

観音寺城には多くの登城道があり、故田中政三氏の著書には宮津地区に下りる宮津口筋は谷筋と尾根筋の 2 本あると書かれている。そのうちの谷筋らしき道については、すでに何度か歩いたが、尾根筋についてはどこにあるのかさえ不明。

そこで今回はこの宮津口尾根筋を探してその踏破に挑戦することにした。

当然ながら下り口は全く不明。そこで、池田丸の南西側の空堀の先に尾根道らしきものが見えるので、まずこの空堀におりて、その先の尾根道に向かうことにした。

なおこの尾根道には、短い間隔で目印が付けられていた、何の目的で付けられたものかはわからないが、かなり計画的につけられており、なんらかの事業によるものであると思われる。

池田丸の南西直下の大きな空堀に下りて、池田丸を見上げたところ。青空の下は池田丸
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空堀内部の様子
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空堀の先にある尾根道に入ったところ。ペンキで黄色く着色された杭が打たれている
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 少し進むと、木にも黄色いペンキの目印
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さらに進むとピンクのリボンによる目印
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道筋を示す目印が、短い間隔で付けられている
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急な下りに入る直前の大きな岩の上から、宮津・桑實寺方面を望む。景清道と教会堂(朝鮮人街道)を見下ろせ、観音寺城裏側の監視には絶好のポジション。
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眼下に宮津地区が見えるが、どこに道があるのか不明。取り合えす少し手前に戻り北側の斜面を降りることにした。、

比較的広くく比較的ゆるい傾斜に道、石がゴロゴロしている。山裾に行くほど石が増える。はっきりいって、道なのかただの斜面なのかよくわからない。
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山裾に近づくと山腹を横に走るしっかりした道筋と交差する。この道はおそらく景清道
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この道を超えてさらに山裾に向かうと竹薮に入る。

竹薮には何箇所も出口がありどこからでも出られる
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この出口は、瓢箪山古墳の駐車場に近い。確かに宮津地区あたりに出たが、これが城道として利用された宮津口尾根筋かどうかは全く不明。少なくともここは、竹薮を利用する際の出入り口のようなので、他にもっとそれらしい道への入り口がないか探してみる。

この入り口を覗くと、奥に向かってしっかりした道が伸びている
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ここからも中に入れそう
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ここで日没、本日の探検は終わり。

そこで今回のルートを紹介すると、このようになる
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歩いた道は、昔の地図にも今の地図にも載っていない。 また、道なのかそうでないのかはっきりしないところを歩いているので、だいたいこのあたりからこのあたりまでということしかしかわからない。

一週間後、再度宮津付近の上り口を探す。先週めぼしをつけておいたこの入り口から、山中に入ることにする
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入ると道はすぐに左右に分岐する。右側の道はすぐに行き止まる。左の道に進む
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道はすぐにわかりにくくなるが藪こぎは不要。左手の竹薮を抜け、山頂方面に向かう

景清道らしき道に出会う。 この道から山頂方面に分岐している道を探しながら桑實寺方に向う
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排水溝を横切る
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比較的大きな谷に出会う。これは宮津口谷筋の横を下る谷
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治水のダムようようなところを通って谷うぃ超え、桑實寺方面に進む。

少し進むと墓地に続く道に出会う。その道を下ると桑實寺参道に出る
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今日はまだ時間があるので、もう一度来た道を戻り道筋の確認をすることにする。

桑實寺参道より景清道らしき道に入る
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荒れた竹薮から竹が倒れてきているが、歩くのに支障は無い
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結構立派な道
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すぐに墓地に出会い、道はここで行き止まり
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墓地から 20m くらい戻り進行方向左に入る(来た道を戻る)
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すぐに石垣が目に入る
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郭の虎口らしきものがある。この付近に道があったことは確かである。
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治水のダム上を歩き来た道を戻る
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排水溝に出会う。ここを横切る
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石積みのスロープを発見!ここで道は山頂方面に分岐している。これが宮津口尾根筋の入り口か?
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スロープを登り山頂に向かう。道らしきものが山頂に向かって続いている
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ところどころにピンクのリボンによる目印が付けられている
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道には石が多く歩きにくい
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この道筋にはところどころに杭が打たれている(写真右下)この杭はかなり古い
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あまり変わり映えしない道が続く。このあたりから先には目印らしきものが無い
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尾根の手前 2-300m くらいのところ。尾根に近づくにつれ道はわかりにくくなる
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尾根に出たところ。黄色いペンキが塗られた杭が打たれている。木にも黄色いペンキの目印
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無事に尾根道に到着したが、最初山を下った時のルートとは異なるようである。このあたりの斜面はどこもさほど急ではないので、道がなくても下りられてしまう。要するにどこからでも下りられてしまうような状態なので、本来の宮津愚痴の尾根筋ルートを特定するのは難しいかも知れない。

また、この道沿いには石垣や石段に使えそうなサイズの石がゴロゴロっしていた。自然に転がってきたのではなく、人の手で集められたもののように見える。壊れた石垣や石段の石材が含まれているのかもしれない。またこのあたりは安土城に近いので、この付近の石材が持ち出され、安土城の築城に利用されたということも考えられる。

尾根道との出会い((上の写真)のすぐ近くにある、大きな岩の上からのt展望。最初下り始めた位置(このページ 7 枚目の写真)より西寄りのようであるがその位置関係は、はっきりしない。
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 この尾根道を北側に向かって進めば、池田丸に到着するが、その逆方向に進み鳥打峠を目指して山を下る。その道筋を次の 観音寺城、鳥打越えルートを探る で画紹介。

観音寺城、宮津口を下る

この記事の公開日は2008年12月8日です。日付を修正して表示順序を変えています。

以前から気になっていた宮津口筋を下りてみた。

山腹を西側に下りる宮津口筋があまり話題になることはない。しかし落合丸に宮津口があることに加え、池田丸にも平井丸にも西側に、宮津口筋につながる木戸口が付けられている。さらに本丸から池田丸に続く尾根筋の郭の西側には、立派な石垣を持ついくつもの郭がある。宮津口筋はこれらの郭と山裾との往来には無くてはならない重要な道筋であったのではないかと思う。

この道筋を下るにあたり、予備知識を得ることができなかったので若干の不安があlった。しかし実際に歩いてみると、道筋がはっきりしないところは多いものの、周囲は明るく安心て歩くことができた。またこの道は迷う心配のほとんどない無いまっすぐな道だった。

落合見付を出た後、道らしくみえるところを下りいくつかの石垣の間をとおり過ぎると、谷に合流する。そしてこの谷と谷沿いに道をどんどん下っていったところ、宮津ではく桑實寺の参道入り口付近に出た。

結局のところ、下り着いたところが宮津ではなく桑實寺なので、言い切る自信はないがたぶんこの道が宮津口筋なのだと思う 。

まず、落合見付(宮津口)を出てすぐに左に折れ、石積みの裏側(犬走り)を進む。
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地図に示された方向に道らしきものが続いている。その道を少し下ると小さな石垣に遭遇。
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崩れた石垣が多く、道や道の両脇に崩れ落ちた石がごろごろ転がっている。
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木々が生い茂っているが、なんとなく道はわかる。
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突然大きな石垣が出現。これは立派!
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上下 2 つに分れており、一つの石垣の上にもう一つの石垣が積まれているように見える。
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角の部分は崩れている。
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この道筋には石積が多いがその大部分は崩壊している。
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こんな道が続く。
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崩れた石垣
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この石垣はまだ原型を留めている。
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この先 10 分間くらいは石垣はない。
下るにつれ道がだんだんはっきりしてくる。道は明るく巨石が多い。これはたぶん古墳。
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しっかりと蓋がしてあるように見える。未盗掘?
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砂防の石積みの脇を下りる。この谷筋にはこのような砂防の石積がところどころにあるが、これらはあきらかに新しい時代のものであり、観音寺城とのかかわりは無い。
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道は広く歩きやすい。このあたりに来ると断続的に石段が現れる。
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この道を下りきると、桑實寺の参道入り口付近に出る。手前に見える石段は桑實寺参道。
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この後、来た道を引き返す。以下は尾根付近まで戻った後の写真。
尾根に近づいたあたりでうっかり北側にそれてしまった。道には石段が埋設されている。
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巨大な石垣が出現。高さ 4-5m 、長さ 30-40 m くらいはありそう。孫次郎邸?
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この石垣の郭に入り、石垣の上から下を見下ろす。
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観音寺城西側の遺構があまり話題になることは無いので、これほどまでに立派な石垣があるとは思いもよらなかった。

それにしても、観音寺城には登城道が多く合計14 条の道があるといわれている。宮津口筋のその一つであるが、今日歩いた立派な道はもしかすると宮津口筋では無く間道なのかも知れない。はたしてこのような間道はどこに、そしていくつあるのか?その全容に興味は尽きない。

追記: その後入手した情報によると、この道は間道ではなく、まさしく宮津口筋として伝承されている道であるらしい。また、故田中政三氏の著書である幻の観音時城には、この道の東側(桑實寺側)の尾根を越えた次の谷に、石を敷き詰めた立派な間道があることが紹介されている。

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